Nikki 1 やわらかな午後に遅い朝食を
ブログ作るの何回目かな。
はじめは高校の時かな。タイトルも覚えてる。
始めるときに考えてることってだいたい同じ。
このままじゃだめ、"なんかいいこと"を
"とりあえず"日記かいて記録しよ、整理しよ。みたいな
もうなのかまだなのか28歳。
今の心境は仕事にもいい意味でも悪い意味でも慣れてこの先が見えてこない。
どうなるかわからないという不安定なことではなく、このまま何のアップダウンなく平坦な道が続くっていう希望や刺激がないという意味での"先"がない。
石橋叩いて、渡らない
を繰り返してたらそうなるか。
このまま今と変わらず5年、10年経つのかと思うと、焦る。
今気づいたけど焦るってことは若い証拠なのか。
おばあちゃんとかは最近旅行とか遠出することを避けたがる。これより先、ダウンすることがわかってるから変化を避けて今の状態を保てることが1番安心なんだろうな。
焦るってことは、この先少しでもアップすることを期待している。未来の少しの期待に対しての今の自分が駄目だと思う、焦る。
そもそも有意義な生き方をすべきと人は人に期待しすぎ。
昨日Twitterで流れてきたツイートに
生きてる意味がわかりませんっていう重めの人生相談のお悩みに答えているページが貼ってあってみてたんだけど
この方が言われてたのは、生きる意味はないけれど、あるとすれば時間。
時間があるからこそ行動ができる、と。
意味を見出すことは無意味だけれど、
生きている限り時間があり行動できる。
ここで価値のある行動を実行すれば人生に意味が生まれる、と。
とまぁやはり結論は人生に意味づけをすべきという着地に。うつ病で何度も自死を試みた過去をもつ方が言うんだからそれがいま生きようとする人間の考えることだしそうしないと生き続けられないんだろうな。
ここでふと思い出した歌詞があった。
秦基博の「やわらかな午後に遅い朝食を」という曲。
変わらない駄目な自分をどうにかしようとすることもやめていつもこうだよなってなだめて、そのまま。
最初は何とかしようと思う、そしてまた次もまだ何とかしようと思う。
それが繰り返されるとまた同じ繰り返しになると自分で気づきはじめて、慣れる。自分に向き合うことから避けて。
そんな自分がまた嫌になる。
めちゃくちゃいまの気持ちと重なった。
できない自分よりもそこから逃げる自分。
秦基博こういう曲を重すぎずふわっと聴かせるからいいよなぁ。
自分と同じようなひとがこれを読んで同じこと考えてるなっていうひとが読んでそっと心の中で仲間になれたらな、なんて。
地元離れて一人暮らしで恋人どころか近くに気軽に会える友達もいないとなるとさすがに寂しくなりますね。
遊んだりできる友達は1人いて、その子がいれば十分なんだけど、やっぱ毎日の生活の中で職場と家の往復ってなるときつい。
1人が好きですすんで1人行動し続けてきたけど、最近、友達や家族と半日以上一緒にいるとちょっと息苦しいと思うところまできてしまった。1人に慣れすぎたなー。
職場の人と雑談したりするけど、なんかかろうじての最低限人間関係を保つためのコミュニケーションとしてだから正直つまらない。
そりゃそう考えて話してたらそうなるか。
なんかそこで素の自分を出すのは違うし
。みんな割り切って乗り切ってるって私は思ってるんだけど、どうなんだろう。
どんな生き方でも認められるべきだと思うし、そう思うからこそ自分はどう生きたいんだろうって考える。
少なくともブログで想像、妄想するだけじゃ今までと何も変わらないからな。
なんかこうブログとかになると、かっこつけた言葉になっちゃうのどうにかならんかね。
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